ニュータイプについての考察

以前、アムロララァの脳波の同期による「人格の焼付き」の話をした。
ニュータイプは他者との認識の同調能力が高く、宇宙空間においての人の吸引力が強化されたような存在と言える。

今回は「最高のニュータイプ」こと「カミーユ・ビダン」のニュータイプ能力について語ろうと思う。

カミーユ・ビダン
アムロ以上にニュータイプ能力が強力な人物で他者の意識や感情を受信しやすいタイプ。
Zガンダムの時代(グリプス戦役)の頃はニュータイプも人工的に生み出そうとする実験も多くニュータイプが利用するためのモビルスーツなどの機動兵器も多数開発されていた。
カミーユの乗機であるガンダムMK2は新技術のテスト機でありニュータイプの運用は考慮されていなかった。
しかし、後の乗機であるZガンダムはその構造にバイオセンサーという人間の脳波を機体反応にフィードバックするというシステムが試験的に搭載されていた。
この機能こそが後のカミーユの精神崩壊の引き金になる。

ニュータイプ能力の高いカミーユはこのバイオセンサーによって自分が戦った戦死者の意識を自分の脳に取り込むようになった。
他者との同調能力が高いカミーユは特に接触の多かった人間ほどその人物が死ぬ際の脳波をバイオセンサー経由で自分の脳に焼き付けてしまうようになったと思われる。
かつてアムロサイコミュの機能によってララァと完全同期し、その意識を自分の脳に焼き付けたように。
アムロの時代はそういった要因がララァエルメス以外に存在しないため、複数の人格を脳に焼き付けるようなことはなかったが、
カミーユの時代はなによりZガンダムが擬似サイコミュの役割をはたすバイオセンサーが搭載されており、
またサイコガンダム以降の機動兵器もサイコミュまたはバイオセンサーが搭載されたものが多かったため
カミーユニュータイプ能力によって同期する機会が非常に多かった。
カミーユはそうと気付かずに同調した親しい人間の死に際の意識を自分の脳に焼き付け続けていた。
その結果が最終回のシロッコとの対決における「女の声?」とシロッコも同調した結果、
浮かんだ死者たちの幻影だった。
彼・彼女らはカミーユの脳に焼きついていたのだ。
そしてZガンダムは「俺の体を通して出る力」を体現する「Zガンダム」によって
同じくバイオセンサーが搭載されていたシロッコのMS「ジ・O」を金縛りにして撃墜した。
シロッコニュータイプであったが、他人を駒としてしか認識せず、同調することはなかった。
カツの幻影がいうように、シロッコの周りには誰もいなかったのだ。

死の間際、「Zガンダム接触」したシロッコはそこで自分とカミーユの違いを理解した。
だが、敗北を認めず「自分だけが死ぬわけがない、お前の心も連れて行く」といって最後に
カミーユの精神に大ダメージを与えていった。
すでに多数の人間の意識を焼き付けていたカミーユの意識はいわゆるオーバーフローを起こしてしまったのだ。
TV版最終回でカミーユが自分を見失ったのはその為。
シロッコの意識がカミーユの意識を圧迫していたと思われる。
その後、ZZガンダムの作中で徐々に回復を見せていたのはZガンダムから降りて、
自分の脳内を占拠したシロッコの排除に成功したからと考える。
あのまま宇宙にいれば、無防備となったカミーユの意識は他の人格を感知しすぎて回復は望めなかっただろう。
地球に下りて、人の意識が空間にただようことが無い環境でおちついて自己を取り戻すことができたのだ。
カミーユは優しすぎた。
優しすぎる為に知人の死後の意識を取り込んでしまったのだ。
後の世にカミーユが戦場に戻ったという話しが無いのは戦場で死が間近になればまた他者の意識を取り込んでしまうからだろう。

本物のニュータイプは戦争が出来ないのだ。

「閃光のハサウェイ」観賞後感想

「閃光のハサウェイ」

観てきました。

面白かったところをつらつらと。

スパイ映画みたいで中々緊張感のある話でしたね。

予定ならホテルを爆撃されたらそのまま隠れ家に移動するはずだったんだろうけど、ギギを見捨てられなかった。

騒動後の大佐に駆け寄っていくギギをみてトラウマを掘り出されたハサウェイが

「ガチン」と音を立てて切り替わるシーンが中々おいしい。

あと、ペーネローペーの出す化鳥音も異様で新鮮だった。

特撮の宇宙人のUFOの音みたい。

マフティーの組織も構成員が皆若いのもテロ集団として実に"らしい"。

みな、目がキラキラしていて理想を追っていることに酔っているいい顔をしている。

原作読んでないからしらないけど、スポンサーってどのくらいいるのかね?

MSを運用できるテロリストって相当なもんだからなあ。

山寺宏一佐々木望の配役も妙で登場時噴出しそうになった。

ところどころ、台詞に過去のガンダムのセリフが混じっててニヤリとしたり、

楽しい映画だった。

「閃光のハサウェイ」とテロリズムについて

閃光のハサウェイが公開されて大変好評のようです。

さて、原作も映画も見てないのですが、ハサウェイが地球連邦の高官の腐敗を正すとして、暗殺を繰り返しているという内容と聞き及んでいます。

まあ、動機はともかくとしてやっていることはテロでしかないのでほめようが無いのですが、何故彼らは安直なテロリズムで社会を変えようとするのか。

連邦政府の権力者たちが腐敗しているから排除する?

そんなことをしても次から次へと同じタイプの人間が入れ替わるだけです。

結局、破壊活動で無駄に人命が失われるだけ。

政府が腐敗した、というならどうして人脈を広げて政治の世界に飛び込まないのか。

啓蒙運動で人心を動かそうとしないのか。

たとえば「ジョジョの奇妙な冒険」5部の主人公「ジョルノ・ジョバァーナ」は国家が正義を補償しない国で、正義を唱えるには裏社会でのし上がるしかないとしてギャングスターをめざし、仲間の犠牲の元にその野望を実現しました。

あえて社会の裏側を支配することで悪の暴走を防ごうとしたわけですね。

こういった手段をいわゆるテロに走るエリート筋や高潔な志を持つ人間は選ぼうとしません。

彼らは「汚れる」のを忌避するあまり、そういった人間の負の部分から眼をそらし、消去しようとするきらいがあります。

迂遠な方法かもしれませんが、同じ手を汚すのなら人々に恐怖を振りまくテロではなく、人間を本当に動かす手段として、政界に身を投じるべきだと思うのです。

似た例として「太陽の牙ダグラム」という作品があります。

この作品の主人公「クリン・カシム」も政府高官の子息で何不自由ない生活をしていましたが、植民星デロイアの一方的な搾取の現実を見てデロイアの独立勢力のゲリラ活動に傾倒し、参加していくことになります。

しかし、物語は主人公の戦闘の結果ではなく、一人の政治家の不慮の銃殺によってデロイアの独立が成立します。

物語り全体を通して主人公の戦いはデロイアの独立にはなんら寄与しませんでした。

最終的に「政治力」によって和平が成立し独立したデロイアはその保有戦力の一部解除をすることとなり、主人公達「太陽の牙」チームも武装解除を迫られます。

ここで彼らはただ武器を解除するのではなく、自分たちの力との決別に、ダグラムや銃器の爆破破棄を選択します。

このように武器によっての抵抗は結局のところ大きく社会を動かす力にはならないということです。

ハサウェイが政府の高官たちの腐敗を排除したいなら、その腐敗の中心に自らを投じるべきでは無いのでしょうか。

逆に、そういった手段を取れない時点で社会を変えることも人々の心も動かすことは出来ず、ただ不和と争いの種をまくだけの結果となったと思われます。

汚れをぬぐいたければ自らも汚れる覚悟が必要。

だが、高潔な志を持つがゆえに人々の負の部分を直視できず、安直にテロリズムという暴力で変えようとしてしまうところに彼らの限界があるのでしょう。

アムロ・レイとララァ・スン

機動戦士ガンダムにおける最大のイベント、ニュータイプの開合、アムロララァの出会いについて。

2人のニュータイプは戦場で再会した。

サイコミュは脳波によって、物体をリモートコントロールし、ミノフスキー粒子散布下の環境において長距離の無線誘導ができるという優れもの。

このサイコミュは物語の登場時には開発されたばかりで、どのような影響が人間に起こるかという点について未確認の要素が多かった。

ここに、発達したニュータイプ能力も持つアムロララァが出会った時、サイコミュを介して2人の脳波が完全に同期した。

アムロララァはお互いの意識が重なり合い、お互いを誰よりも理解してしまった。

本編映像には2人の顔が重なるシーンが差し込まれる。

孤独なアムロにとっては最大の理解者であるが、ララァにとっては違う。

依存対象であったシャアに絶対の信頼と恋慕を寄せていたが、シャアとの関係はそこまでの常識的な範囲。

だが、アムロという最大の理解者を得てしまったララァは恩義も愛してもいるシャアより大切な人間ができてしまった。

それが、「なぜ、今になって現れたの?!」という台詞に込められている。

シャアとセイラを巻き込んで激しくぶつかりあう4人だが、ここで破局が訪れる。

シャアをかばってララァガンダムの攻撃を受けた。

ここにいたって、サイコミュによって意識がつながっていたアムロララァはその刹那、アムロの脳内にララァの意識が焼きついてしまった。

「取り返しのつかないことを してしまった」と嘆くアムロだが、アムロの脳内には常にララァの意識が存在することになった。

だからア・バオア・クーの脱出のときも、逆襲のシャアのときも、アムロの意識内にララァは存在し、語りかけてくるようになったのだ。

つるの氏盗難騒動について

まあ話題のつるの氏盗難騒動の件ですが、これに噛み付いた左翼ってのが実に醜悪で。

つるのさんが「犯人は日本語をしゃべれないの一点張り」としか言っていないのに

米山氏は「そのパクチーを取った人が外国人だとして豚泥棒が外国人と言う証拠はなく、実家が養豚農家の身として言うなら、大量に屠殺する手段を持たない外国人がこれを行うのはかなり困難で、むしろ同業者の可能性が高いと思われます。まるで外国人の犯罪かのように示唆してRTするのは極めて差別的だと思います」

と発言。

なぜ、このような発言になったか。

これは、米山氏自身が「外国人は犯罪を犯す」という前提で発言しているからです。

つるのさんは犯人が日本語をしゃべれないと言っていたと報告しているだけです。

ここにおいて、犯人の国籍はさほど重要じゃない。しかも何の関係もない豚泥棒の話を持ってきて、勝手に「外国人すべてを犯罪者のように言うのは差別」と決め付けています。

この点、語るに落ちていて、最近の家畜泥棒の犯人は具体的な情報は出ていないはずです。(すでに犯人が捕まっていたら申し訳ない)

かように米山氏の頭脳にはまず、「外国人は犯罪を犯す」という大前提があるわけです。

非常に差別的ですね。

そのために、歪な正義感から「外国人をすべて犯罪者として迫害されるようなことになってはいけない」という斜め上の善意を見せびらかすのです。

普通はそんな認識はありません。国籍がどこだろうと「犯罪」はきちんと法の下に裁かれるべきなのが現代の日本です。

しかし、彼らはそもそも「外国人は犯罪者である」という前提を信じているので、犯人を捕まえたら日本語をしゃべろうとしなかった=外国人はみな犯罪者だ、とつるのさんが言っているものと勝手に誤解しているわけです。

かように、さして問題ない発言でも「自分の差別心」から、相手も同様だと判断して差別をしてはいけない、と自分の差別心をごまかすために他人に擦り付けるのです。

世の中、差別を非難する人間こそがもっともその対象を差別していることをお忘れなく。

TIGER & BUNNY

突然、 TIGER & BUNNYのお話。

TIGER & BUNNY、ご存知のように超能力を持った人間をヒーローとしてスポンサーの下にクライムアクションを撮影することで視聴率によって広告利益を得るという設定のテレビアニメです。

ちょっとつぶやきたくなったのはシリーズのラスト、戦闘アンドロイドのH-01たちとの戦い。

ヒーローたちはほぼ同数のH-01に手も足も出なかった。

だが、個々の能力は決して引けをとらないはずだが、一方的になぶられて終わっている。

これは、彼らヒーローが基本的に単独で敵と戦うことにならされており、協力して敵を倒す、というコンビネーションプレイの経験がなかったからだ。

例外として虎鉄とバーナビーだけがコンビプレイで活動していたため、かろうじてH-01を倒すことができたとみられる。

本来なら、ほかのヒーローもそれぞれの能力を使って協力して戦えば苦戦はしてもあそこまでなぶられる展開にはならなかったんじゃないかな。

 

 

 

いろいろとつれづれと。

なんかまた巷で箸の持ち方云々が話題なようで。

付き合いの浅い人に対して面と向かって「持ち方おかしい」と指摘するのはさすがにまずい。

公然と相手を罵倒しているので、人によっては逆鱗に触れるしそうでなくても相手は不愉快になります。

どうしても気になって親切心で言うのなら、「変わった持ち方をしていますね」とジャブを放つべきでしょう。

まあ、持ち方の怪しい人とは付き合わないのがベストですが。

子供のころから指摘する家族や近親者がいないということになりますので、そういった人間の交友関係も押して知るべしとなります。

関わらないのが一番安全です。

 

さて、とあるツイートで目にしたのですが、「東日本大震災のときに中国が日本を侵略しなかったのはなぜ?」というのがありました。

一言で言えば、米軍と自衛隊の2枚看板があったからです。

自衛隊がなければ侵略されています。

これは過去実例がありますね、韓国の李承晩ラインがそれです。

日本が固有の軍事力を持たなかった時期に韓国は国境線を勝手に変更して竹島を拠点としていた漁師を多数捕縛、殺害し、現代まで竹島を占拠し続けています。

米軍は所詮外国の軍隊です。日本が危険になったとしても命を懸けて守る義務はありません。

通常の軍隊でさえ、不利なときは民衆を見捨てて撤退するものなのです。

外国の軍隊なら同盟国とはいえ自衛手段がないなら本気で戦う義理はないのです。

ゆえに米国は日本に自衛力を要求しました。

よく中国が日本を軍事侵略しない理由に米軍の核の傘と、国際社会の目をあげていますが、中国は国際社会の目等気にしないし、国際社会も自助努力しない国が軍事侵略を受けたからといって襲った側を非難などしません。

していたら、今頃モンゴルやチベットは侵略されていなかったでしょうからね。

 

不思議なもので、日本や米国の軍隊は侵略する、と信じて疑わないのに中国の共産党軍は侵略しないと信じている人のなんと多いことか。

一方は民主国家の国民軍、一方は一政党の私兵集団。

どちらを信用するかは火を見るより明らかと思うのですがね。