「閃光のハサウェイ」とテロリズムについて

閃光のハサウェイが公開されて大変好評のようです。

さて、原作も映画も見てないのですが、ハサウェイが地球連邦の高官の腐敗を正すとして、暗殺を繰り返しているという内容と聞き及んでいます。

まあ、動機はともかくとしてやっていることはテロでしかないのでほめようが無いのですが、何故彼らは安直なテロリズムで社会を変えようとするのか。

連邦政府の権力者たちが腐敗しているから排除する?

そんなことをしても次から次へと同じタイプの人間が入れ替わるだけです。

結局、破壊活動で無駄に人命が失われるだけ。

政府が腐敗した、というならどうして人脈を広げて政治の世界に飛び込まないのか。

啓蒙運動で人心を動かそうとしないのか。

たとえば「ジョジョの奇妙な冒険」5部の主人公「ジョルノ・ジョバァーナ」は国家が正義を補償しない国で、正義を唱えるには裏社会でのし上がるしかないとしてギャングスターをめざし、仲間の犠牲の元にその野望を実現しました。

あえて社会の裏側を支配することで悪の暴走を防ごうとしたわけですね。

こういった手段をいわゆるテロに走るエリート筋や高潔な志を持つ人間は選ぼうとしません。

彼らは「汚れる」のを忌避するあまり、そういった人間の負の部分から眼をそらし、消去しようとするきらいがあります。

迂遠な方法かもしれませんが、同じ手を汚すのなら人々に恐怖を振りまくテロではなく、人間を本当に動かす手段として、政界に身を投じるべきだと思うのです。

似た例として「太陽の牙ダグラム」という作品があります。

この作品の主人公「クリン・カシム」も政府高官の子息で何不自由ない生活をしていましたが、植民星デロイアの一方的な搾取の現実を見てデロイアの独立勢力のゲリラ活動に傾倒し、参加していくことになります。

しかし、物語は主人公の戦闘の結果ではなく、一人の政治家の不慮の銃殺によってデロイアの独立が成立します。

物語り全体を通して主人公の戦いはデロイアの独立にはなんら寄与しませんでした。

最終的に「政治力」によって和平が成立し独立したデロイアはその保有戦力の一部解除をすることとなり、主人公達「太陽の牙」チームも武装解除を迫られます。

ここで彼らはただ武器を解除するのではなく、自分たちの力との決別に、ダグラムや銃器の爆破破棄を選択します。

このように武器によっての抵抗は結局のところ大きく社会を動かす力にはならないということです。

ハサウェイが政府の高官たちの腐敗を排除したいなら、その腐敗の中心に自らを投じるべきでは無いのでしょうか。

逆に、そういった手段を取れない時点で社会を変えることも人々の心も動かすことは出来ず、ただ不和と争いの種をまくだけの結果となったと思われます。

汚れをぬぐいたければ自らも汚れる覚悟が必要。

だが、高潔な志を持つがゆえに人々の負の部分を直視できず、安直にテロリズムという暴力で変えようとしてしまうところに彼らの限界があるのでしょう。