やさしさ、紙芝居

フィクションにたまにいる、「優しい人」

最近の例の一つに「トライガン」のヴァッシュを上げてみる。
彼は人を殺さない。殺したくない。超絶のガンマンでありながら、である。
理由の一つに自分の長命から来る、人類の近親感があります。
長く生きていくうちに星中の人がみな、知り合いかその子孫という状況。
この感覚は無理ないかと思えます。
だから「やさしい」。

けれど他人から見るとその優しさは一方的なものとわかります。
優しさは時として残酷な諸刃の剣。
ヴァッシュの優しさは自己満足の、相手の心情を理解しない、優しさです。
この優しさはかけられた者は死刑宣告に等しいものになりうるのです。

一つの例として雷泥・ザ・ブレード戦が上げられます。
彼、雷泥は激闘の末ヴァッシュに敗れます。
命を奪うことなく、剣を捨てることを告げてヴァッシュは去ろうとします。
雷泥は葛藤します。今までの自分の命を賭け、血に塗れて悪鬼となってまで得た
剣技を捨てるのか?
それはアイデンテティの喪失であり、すなわち雷泥自身の死と同意です。
つまりヴァッシュは殺さなかったつもりで新たに生きてくれと考えたのでしょうが
当人にとっては殺されたと同じなのです。

次にガンスリンガーガールのジャン・ジョゼ兄弟。
漫画を読んでいくと冷徹な兄のジャンに対になるように弟ジョゼの
優しい振る舞いが描かれています。
しかしリコのエピソードを見ればわかるようにジャンは冷たいわけではないのです。
彼の本当の姿は「とてもやさしい」のです。
あまりに優しいがゆえに自分の感情を抑えて冷徹に振舞わないと耐えられないのです。
冷徹に徹することで他人からは厳しく、冷たい人間に映ります。
しかしアニメでも表現されていますがリコに対しては影響の無い範囲で
優しさを時折見せています。
(独りでは何もできないやつだ)や(安心しろお前にはまだ先の話だ)
このように常にリコの身を案じる言動が時折見られます。

翻ってジョゼはヘンリエッタに深入りしようとしません。
プレゼントをしたり、旅行をしたり、優しく振舞ったりと
見た目は優しく映ります。
しかし深い所では彼女を非常に厄介に思っているようです。
時折、部外者にその本音を漏らしたりしています。(直接的ではないですが)
ヘンリエッタのほうもその辺を薄々感じつつ、うわべの優しさを甘受しているようです。
彼女に優しくしようとしているのは本気でしょう。
しかしそれは仕事上仕方の無いことであり義務感から来るものと考えます。

本当の優しさとは
相手の心情、立場を理解して、相手にとって一番良い結果に導くことだと思います。