ケータイ

私は携帯電話がキライだ。
1、電話をしないから。
2、形が気に入らない。
3、他人がマナーを守らないのを見ているから。
4、おもちゃの癖にカッコよくないから。
5、自分の居場所がすぐにわかってしまうのが縛られているみたいでイヤ。

だいたいこんなところかな。
自分は他人と積極的に電話するということがない。
いつも向こうからかかってくる。
なにせ独り暮らしを始めた当初は電話を持っていなかった。
緊急時には電報を打ってもらったほどだw。

携帯電話にナニが気に入らないってその形状だ。
判で押したようにシルエットが同じなのが我慢できなかった。
どれもエッジをなくして丸みを帯びたデザイン、長方形のロングか折りたたみ。
意匠に工夫というのが見られない。
はっきり言って没個性。
日本の家電製品の例に漏れずに変化や冒険がない。
じつのところ海外、特にアメリカなどはさまざまな形の携帯が売られている。
開くとPDAになっていたり、葉っぱの形をしていたり。
私は携帯電話というのは所詮おもちゃだと認識している。
なので「遊び心」が見えないのがイヤだった。
あると便利なのは認めるが持ってて面白くないものなぞ持ちたくもない。
理想は腕時計型携帯電話だった。
現在の携帯のスタイルは「統合コミュニケーター」といった存在になりつつある。
デザインにこだわるより先に機能を重視してこれでもか、というぐらい
多機能にしている。
そんなこんなで個性のない携帯にうんざりしていた折、
心の琴線に触れるものが発売された。
それがボーダフォンの「KOTO」だ。
今までのどの会社にもない、エッジの効いたデザイン、
統一されたパネルライン。
安っぽい材質、一見チープなおもちゃに見えるこの携帯は
手に取った瞬間私の心を鷲掴みにした。
結局、この「ハード」が欲しいがために契約をすることになった。
先に挙げた自分の好感度は、いっぱしの携帯通には大変不評だった。
だがそれゆえに自分は気に入ったのだ。
沢山あふれかえるハードの中でこれに匹敵する「ダサさ」を持つ物はあるまい。
携帯電話に対する私の複雑な感情を実によく体現してくれているのだ。
おかげで
この機種を持っている人間はほとんど見ない。
まさに
「自分だけ」の携帯としての価値を確保したことになる。
この点では非常に満足した。
だが
手に入れて早3ヶ月。
もうこの存在が疎ましく思えてきた。
今日などは思わず「へし折ってやろうか」とふと前触れもなく考えてしまった。
だいたい、電話をしているときの表情というのは実にだらしない。
目線は宙をさまよい、口元はだらしなく開いている。
みっともないことこの上ない。
私は受けるとき、かけるときどちらも顔を人目からそらしてする。
自分のそんな顔をさらすのは真っ平ゴメンだからだ。
だいたい、四六時中誰かの連絡が来るなんて、うっとおしくないのだろうか?
常に誰かに繋がっているなんで怖気がする。
自分の時間は自分のペースで動きたい。
幸いなことに、私の友人たちは皆そういうタイプなので自分のペースに
他人を無理やり巻き込むということはあまりしない。
まぁ自分の携帯も契約期間が切れるまでは付き合うしかないな。