藤原 佐為とは

ヒカルの碁を久しぶりに読んで思い立った考察。

ヒカルの碁」とは主人公進藤ヒカルが祖父の蔵にて古い碁盤を前にした時に平安時代棋士の霊「藤原 佐為」と出会ったことにより囲碁棋士を目指すという、ファンタジー漫画である。

この幽霊「藤原 佐為」について考えてみた。
藤原 佐為は幽霊ゆえに物に触れない。それでも囲碁への執着から成仏できずにいる。
かつて本因坊秀策に取り付き、本人に代わって打たせてもらったと言う設定。

そして物語の主人公進藤ヒカルと出会い、彼に取り付く。
物語の進行で藤原 佐為は現代のルールと定石を身に付け、さらに強くなっていく。

ここで疑問。
幽霊なのに新しい知識を身に付けることが出来るのか?ということ。
ファンタジーだから、といってしまえばソレまでだがそこで終わってしまっては面白くない。

ここで「鋼の錬金術師」の説明を引用。
エドワードは弟のアルフォンスの鎧への魂の定着が成功しているかどうかの確認に迫られる。
定着させたエドワードの知らない記憶を鎧のアルフォンスが持っていること、
鎧になってからの記憶についての疑問を持つ。

この作品においてヒトとは魂、精神、肉体で一セットと定義付けられ
エドワードの説では魂と肉体を繋ぐのが精神とされた。
ここで「肉体が無いのに鎧になってからの記憶はどこに記録されているのか?」
という疑問に「魂と肉体は精神で繋がっていて、記憶は生きている肉体の方に蓄積されている」
と仮定する。
この説は物語の展開上正しかったことが証明される。

藤原 佐為についてこの論を元に存在を考えてみる。
藤原 佐為は幽霊である。
つまり魂と精神だけと考えることが出来る。
しかし肉体が無いため新しい記憶を持つことが出来ないはず。
ではなぜ現代の定石やルール、新聞の棋譜を記憶することが出来るのか。
これは取り付いた進藤ヒカルが肉体の代わりをしていると考えられる。

つまり藤原 佐為は進藤ヒカルの脳の一部を間借りして存在していた。
ゆえに新しい記憶を元に思考が出来たのだと思う。

ここで宿主の進藤ヒカルにも変化があわられる。
一部とはいえ、他者へ脳を貸し与えたことにより、隠れた才能が引き出された。
つまり囲碁の才能である。
よく言われる「人間は脳の3割ほどしか使っていない」説がある。
これが藤原 佐為によって3割以上使われるようになったのではないか。
そして藤原 佐為が「覚えた」といった知識は実は進藤ヒカルの脳に蓄積されていた。

物語終盤、藤原 佐為はヒカルの才能が自身を越えたと悟り、消える。
それは成仏したのではなく、進藤ヒカルの魂に溶け込んだのだと思う。

藤原 佐為が目の前から消えて進藤ヒカルは悲嘆にくれるが
その後望まぬ対局から自身の打つ囲碁の手の中に藤原 佐為がいることを悟る。
そう、藤原 佐為は消滅したのではなく進藤ヒカルの中に溶け込んだのだ。

こうして藤原 佐為は消えたがその蓄積した知識は変わらず進藤ヒカルの頭脳の中にある。
ソレを引き出しより高みに登れるか、進藤ヒカルの成長に問われて物語は終わる。

後一つ、藤原 佐為はなぜ進藤ヒカルに取り付いたのか。

ここでも「鋼の錬金術師」の説を引用する。

「魂と肉体は精神で引かれ合う」
「本来の肉体で無いものに魂を繋げると拒絶反応が起こる」

藤原 佐為は幽霊であり、魂と精神のみの存在と仮定した。
ではなぜ他者の肉体に間借り出来たのか。
ここで遺伝子の観点から考察する。
藤原 佐為は男性で、独身と思われる。
直系の子孫がその後もいたとは考えられないが、血の流れまで断絶したとは考えにくい。

思うに本因坊と進藤ヒカルは藤原 佐為の遺伝子を幾分含んでいたのではないか。
もちろんそんな人間は山ほどいるだろうが、囲碁の才能を持ち、尚且つ藤原 佐為の遺伝子を持つ人間など
奇跡のようなものだろう。

進藤ヒカルの実家も蔵があるほど裕福な家系のようだ。

結論としては藤原 佐為の遺伝子を持つが故に藤原 佐為の宿主として合格したと考えられる。
それでも何世代も重ねればそういった人間に出会うのは天文学的確立であろうから、
やはり藤原 佐為と進藤ヒカルの出会いは奇跡といっていいだろう。